カメラを手にして、私はやっと「これが好きだった」と思い出しました。でも、それを誰かに伝える勇気はまだなくて。心の奥には、行き場のない想いだけが溜まっていったんです。
そして、その想いはある夜、思いがけない形であふれてしまいました。
* * *
きっかけは、本当に些細なことでした。久しぶりに二人で会えた夜、遼が「来週の連休、会社の同期とキャンプ行くことになったんだ」と、当たり前のように言ったんです。
その連休は、ずっと前から「二人でどこか行こうね」と話していた日でした。私が何度も、それとなく予定を空けておいた日。
「……そうなんだ」
笑おうとしたのに、うまくいきませんでした。いつもなら飲み込めたはずの言葉が、その夜はどうしても喉につかえて、出てこなかったんです。
「沙織? どうかした?」
遼の、何も気づいていない声。その無邪気さが、なぜかその瞬間だけは、たまらなく苦しかった。
* * *
「……ずっと、我慢してたの」
気づいたら、声が震えていました。一度こぼれたら、もう止まらなかった。
「旅行も、ドタキャンも、いつも私が合わせてた。あなたの好きなものに合わせて、予定も全部あなた中心にして。それでも、いいって思ってたの。好きだったから」
「ちょっと待って、沙織……」
「でも、私ばっかりなんだよ。寂しいって言っても考えすぎって流されて。私、自分が何が好きだったかも、わからなくなってたの」
言いながら、涙が止まりませんでした。ずっと閉じ込めていた『わたしばっかり』が、全部、彼にぶつかっていきました。
* * *
遼は、しばらく黙っていました。困ったように髪をかきあげて、それからぽつりと言ったんです。
「……そんなに無理してたなんて、知らなかった」
責める口調じゃありませんでした。本当に、戸惑っている声でした。
「沙織が料理してくれるの、いつも嬉しかったし。予定合わせてくれてるのも、ありがたいって思ってた。でも、それが我慢だったなんて……なんで、言ってくれなかったの?」
——なんで、言ってくれなかったの。
その一言が、胸の奥にまっすぐ刺さりました。
* * *
正直に言うと、私はその瞬間、遼を責めたかったんです。気づいてよ、察してよ、って。
でも、できませんでした。だって、彼の言うことも、本当だったから。
私は「嫌われたくない」って、笑って本音を隠してきた。寂しいも、嫌だも、行きたいも、全部飲み込んで。受け止めてほしいと願いながら、いちばん本音を隠していたのは、私自身だったんです。
遼は、私が差し出したものを「いらない」と言ったわけじゃない。私が勝手に差し出して、勝手にすり減って、勝手に「わかってくれない」と泣いていた。
* * *
「ごめん」と、遼は言いました。「俺、甘えてたんだと思う」
その言葉は、嬉しいはずでした。やっと気づいてもらえた。でも、もう遅い気もして。涙の理由が、悲しみなのか安堵なのか、自分でもわからなかった。
あなたにも、ありませんか。やっと本音を言えたのに、ちっともスッキリしなくて、むしろもっと苦しくなった夜。
あー、それ、すごく分かります。私もそうでした。本音をぶつけて相手が変わってくれたとしても、「隠してきた自分」までは、消えてくれないんですよね。
* * *
その夜、私たちは「これからちゃんと話そう」と約束して別れました。表面上は、仲直りのはずでした。
でも、帰り道で気づいてしまったんです。私が本当に欲しかったのは、彼が変わってくれることだけじゃなかった。
もしかしたら、あなたも同じかもしれません。——相手に「気づいてほしい」と願う気持ちの奥に、本当は「ちゃんと自分を出していいんだよ」って、自分で自分に許可をあげたかった、とは思っていませんか。
当時の私は、まだそこまで言葉にできませんでした。ただ、初めて本音をぶつけた夜の、あの苦しさと寂しさだけが、いつまでも胸に残っていたんです。
二人の距離は、この夜を境に、少しずつ——けれど確かに、形を変えていきました。





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